イエス様はガリラヤ地方で教えを宣べ伝え、奇跡を行って神の国の力を示されました。その日々はおよそ3年間だったと記されています。
その後イエス様は弟子たちと約170km離れたエルサレムへ行きますが、エルサレム到着から十字架にかかるまで、マタイ・マルコ・ルカによる福音書の記述によりますと、たった一週間の出来事になります。その一週間を順に見てみましょう。
ちなみに本年、この一週間を記念する時が、3月25日(日)から4月1日(日)になります。
イエス様はロバの子に乗りエルレサムに入場しました。人びとは棕櫚(しゅろ)の葉を手に持って迎えたことから、この日を「棕櫚の日曜日」と呼んでいます。エルレサムには泊まるところがありませんので、イエス様と弟子たちは3kmほど戻ったところにあるベタニアに泊まりました。
翌日、イエス様と弟子たちがエルサレム神殿に来ると、大勢の両替人や礼拝でささげる鳩を売る人たちが店を構えていました。彼らは法外な手数料を取り、鳩の値段を城外の20倍につりあげて私腹を肥やしていました。イエス様は彼らを追い出し、神殿は聖なるところと言われました。この日を「宮きよめの月曜日」と呼んでいます。
火曜日、イエス様はエルサレムでファリサイ派やサドカイ派など、ユダヤ教の指導者たちと多くの議論をしたことから、この日を「議論の火曜日」と呼んでいます。
水曜日、イエス様はエルサレムへ行かず、ベタニアで黙想をされました。この日を「黙想の水曜日」と呼んでいます。
木曜日、イエス様は夕刻、マルコの家の二階の広間でパンとブドウ酒を用いた礼拝を定められ、常にこの礼拝を行うようにと命じられました。この礼拝を聖餐式(せいさんしき)と言い、川越基督教会で日曜日の8時と10時半から行われている礼拝が聖餐式です。イエス様の命令を今日も守っているのです。この日を「聖餐制定の木曜日」と呼んでいます。
この後、イエス様と弟子たちは神殿の向こう側にあるゲッセマネの園へ行きます。ここで弟子の一人イスカリオテのユダの裏切りにより、イエス様は捕えられてしまいます。
イエス様は一睡もすることができず、ユダヤ議会の最高法院とローマ総督ポンテオ・ピラトの裁判を受け、十字架につける判決をくだされてしまいます。イエス様は何も悪いことはしていないのに、人びとのねたみによって十字架につけられたのだと聖書に書かれています。
金曜日、イエス様は十字架につけられ、午後3時に息を引き取りました。体はその日のうちに降ろされ、アリマタヤのヨセフという人が自分のために用意していた墓に葬られました。この日を「御苦しみの金曜日」と呼んでいます。
土曜日は安息日であり、イエス様もお墓の中で安息されましたので、「安息の土曜日」と呼んでいます。
そして翌日の日曜日、明るくなるのを待ちかねたように婦人たちがイエス様のお墓に行ってみると、お墓はすでに空でした。そして復活した喜びの知らせがもたらされることになるのです。